人は石垣、人は城。
武田信玄というのは、家臣団が謀反を起こしまくって本当に苦労をした。上杉謙信も同じ。
真田丸の真田昌幸、ああいう一癖、二癖、十癖ある家臣団ばかりだから、武田信玄が家臣団の掌握をできたのは晩年なんです。
人間関係で苦労しまくったから、「人は石垣、人は城」という言葉を残したのです。
武田信玄は城を作らなかったわけではないですよ。真田一族や山本勘助は築城の専門家です。準備はしていたんですよ。
戦が多かったから、本拠地に城を作れなかったのです。最後は、胃ガンで死期を悟って京都に出兵して途中で死んだのです。